歴史・伝説一覧

富士・富士宮の昭和 発刊

「富士・富士宮の昭和」8月31日に発刊されました。 佐野写真館撮影の写真5点と、祭り仲間提供の写真1点が掲載されています。 市制40周年(昭和57年)の宮本区山車復元記念写真 昭和11年大宮町消防組常備詰所落成記念 昭和3年御大典 昭和54年浅間大社境内に露店の出なかった祭り 昭和9年大火復興祭で神田の記念写真

明治23年の浅間大社境内図と平成13年空撮写真比較

明治23年境内図では西鳥居の場所には階段がなく、西門通りまで段差なく繋がっています。 このため、大正4年には山車を新造した湧玉御幸(現宮本区)が馬場にまで山車を引き入れ記念撮影をしています。 大正期に浅間大社の大改修が行われ、その際に西鳥居以西に盛り土をして境内と区切ったもの。

村山浅間神社

村山は、富士山における修験道の中心地であり、明治時代の廃仏毀釈運動により廃されるまで、興法寺という寺院があった。 鎌倉時代には、末代上人に関連する修行者により寺院が成立したと考えられ、村山には正嘉3年(1259)の銘がある大日如来坐像が伝わっている。文明18年(1486)には聖護院門跡道興の来訪があり、この頃には本山派に加わるようになったと考えられる。戦国時代初めには、今川氏の庇護を受け、修験者や道者が集まり、周辺には坊が建ち並んでいたと考えられている。16世紀作とされる「絹本著色富士曼荼羅図」には、興法寺で諸堂を礼拝したり垢離をとったりする道者の姿が見える。

若獅子神社

若獅子神社は、先の大東亜戦争において若獅子の名のもとに勇戦奮闘悠久の大義に殉じた陸軍少年戦車兵の教官・生徒六百有余の御霊を御祭神として永久祭祀の途を拓くため昭和59年10月神社を創建しました。 今、英霊は、この地に還り守護神として我が国の平和と弥栄を希い、氏子崇敬者の平和と繁栄をひたすらお守りしておられます。特に御祭神は、交通安全・学業成就・産業新興の神様として特別の御神徳をそなえておられます。

狩宿の下馬桜

狩宿の下馬ザクラ(かりやどのげばザクラ)は、静岡県富士宮市にある一本桜。日本最古級のヤマザクラであり、正式な和名はアカメシロバヤマザクラという。国の特別天然記念物であり、日本五大桜のひとつ。 1193年に源頼朝が富士の巻狩りを行った際、馬からおりた所とされたことから狩宿の下馬ザクラと呼ばれるようになった。「駒止めの桜」という別名も存在する。1922年(大正11年)10月12日に国の天然記念物に指定された。1952年(昭和27年)3月29日に特別天然記念物に指定された。 樹齢は800年を越える。かつては樹高35m、幹囲り8.5mの巨木であった。しかし度重なる台風などの影響で弱っており、最盛期の姿は拝めない。開花時期は4月中旬である。

浅間大社御田植祭

浅間大社御田植祭は、毎年7月7日に行われます。 例年梅雨の最中ですので、この様に富士山がはっきり見える事は稀ですが、平成28年はまれに見る好天でした。 参集所を出発した一行は境内神田川沿いを南進し、正面参道から拝殿を目指します。 拝殿では御田植祭が行われ、萩と稲苗、農具が祭田奉耕者と田代役に授けられます。 再び行列を作り神田の宮に向かいます。 神田の宮で神事が行われ、早乙女達による田植え舞が奉納されます。 神田が田代役によって耕され、早乙女と参加者によって稲苗が一斉に投げ込まれます。 浅間大社に戻り、拝殿前でもう一度田植え舞が奉納されます。

富士宮市

富士宮市(ふじのみやし)は、静岡県東部の市。富士氏の発祥・根拠地としても知られる。北方に世界文化遺産である富士山を有し、またその構成資産(富士山-信仰の対象と芸術の源泉)である富士山本宮浅間大社・山宮浅間神社・村山浅間神社・人穴富士講遺跡・白糸ノ滝といった文化的資産を擁す。

駿州赤心隊

勤王の志を持つ神官らによって、慶応四年二月二十五日結成。 隊長は富士宮浅間神社宮司富士亦八郎。隊員は鈴木五百重・鈴木楯雄・太田健太郎・森真魚尾・味地瀬兵衛・海野孫兵衛・浅倉勝三郎・名主 彦兵衛・佐藤真次郎・野口一郎・千葉小太郎・卯太郎・三浦千之助・先光右衛門・内藤浪江・大井求馬・八幡主膳 その他。 総じて佐幕的な地元からは馬鹿にされ「行けば官軍 帰りは仏 どうせ 会津にゃ かなわない」とからかわれました。征討大総督有栖川宮熾仁親王に随従し、徳川慶喜追討軍に加わり江戸までのぼって、彰義隊との戦いにもめざましい働きをみせました。