文化財・記念物一覧

明治23年の浅間大社境内図と平成13年空撮写真比較

明治23年境内図では西鳥居の場所には階段がなく、西門通りまで段差なく繋がっています。 このため、大正4年には山車を新造した湧玉御幸(現宮本区)が馬場にまで山車を引き入れ記念撮影をしています。 大正期に浅間大社の大改修が行われ、その際に西鳥居以西に盛り土をして境内と区切ったもの。

村山浅間神社

村山は、富士山における修験道の中心地であり、明治時代の廃仏毀釈運動により廃されるまで、興法寺という寺院があった。 鎌倉時代には、末代上人に関連する修行者により寺院が成立したと考えられ、村山には正嘉3年(1259)の銘がある大日如来坐像が伝わっている。文明18年(1486)には聖護院門跡道興の来訪があり、この頃には本山派に加わるようになったと考えられる。戦国時代初めには、今川氏の庇護を受け、修験者や道者が集まり、周辺には坊が建ち並んでいたと考えられている。16世紀作とされる「絹本著色富士曼荼羅図」には、興法寺で諸堂を礼拝したり垢離をとったりする道者の姿が見える。

狩宿の下馬桜

狩宿の下馬ザクラ(かりやどのげばザクラ)は、静岡県富士宮市にある一本桜。日本最古級のヤマザクラであり、正式な和名はアカメシロバヤマザクラという。国の特別天然記念物であり、日本五大桜のひとつ。 1193年に源頼朝が富士の巻狩りを行った際、馬からおりた所とされたことから狩宿の下馬ザクラと呼ばれるようになった。「駒止めの桜」という別名も存在する。1922年(大正11年)10月12日に国の天然記念物に指定された。1952年(昭和27年)3月29日に特別天然記念物に指定された。 樹齢は800年を越える。かつては樹高35m、幹囲り8.5mの巨木であった。しかし度重なる台風などの影響で弱っており、最盛期の姿は拝めない。開花時期は4月中旬である。

浅間大社御田植祭

浅間大社御田植祭は、毎年7月7日に行われます。 例年梅雨の最中ですので、この様に富士山がはっきり見える事は稀ですが、平成28年はまれに見る好天でした。 参集所を出発した一行は境内神田川沿いを南進し、正面参道から拝殿を目指します。 拝殿では御田植祭が行われ、萩と稲苗、農具が祭田奉耕者と田代役に授けられます。 再び行列を作り神田の宮に向かいます。 神田の宮で神事が行われ、早乙女達による田植え舞が奉納されます。 神田が田代役によって耕され、早乙女と参加者によって稲苗が一斉に投げ込まれます。 浅間大社に戻り、拝殿前でもう一度田植え舞が奉納されます。

富士宮市

富士宮市(ふじのみやし)は、静岡県東部の市。富士氏の発祥・根拠地としても知られる。北方に世界文化遺産である富士山を有し、またその構成資産(富士山-信仰の対象と芸術の源泉)である富士山本宮浅間大社・山宮浅間神社・村山浅間神社・人穴富士講遺跡・白糸ノ滝といった文化的資産を擁す。

富士宮まつり

浅間大社を中心に20の氏子町内が山車屋台の引き回しを行います。大社境内湧玉池に源を発する神田川を境に川東を磐穂、川西を湧玉と総称します。古くは天領、社領と分かれていたこと、明治以降も大宮町、大宮西町と別の町だったということもあり、その成り立ちや気風は大いに違いがありました。 毎年11月3日から5日まで行われます。 初日の3日朝には豊年感謝と引き回しの無事を祈って宮参りが行われます。 中日の4日には共同催事が行われ、大社周辺にはほとんどの山車屋台が集結し競り合いや共同踊りをにぎやかに繰り広げます。

静岡県富士山世界遺産センター

水盤に水を張り一旦落としたとき、水面は鏡のようでした。11月30日夜に前の道路舗装をしていました。 開館前日、セレモニーが行われアルプホルンによる演奏が行われ、舞楽が披露され、テープカットが行われました。ようやく立ち入り規制のコーンが取れたので水際から水鏡に映る世界遺産センターの木格子が撮れました。12月23日がオープン。 早速入ってみました。 贅沢な水盤は逆さ富士と木格子を映すための物だったのでしょう。風の静かな日には、それを実感します。 夜間の照明が水鏡の効果を高めます。