大石寺
山号は「多宝富士大日蓮華山」(たほうふじだいにちれんげさん)で、「大日蓮華山」と略すこともある。
日興の法脈を継承し、過去には、勝劣派、宗祖本仏論を奉ずる富士門流に属し、静岡県の駿東地方に分布する 北山本門寺、 西山本門寺、 下条妙蓮寺、 小泉久遠寺とともに同門流の「富士五山」を構成し、さらに 京都要法寺、伊豆実成寺、保田妙本寺とあわせて「興門八本山」と称される時代もあった。明治期には富士門流の統一教団日蓮宗興門派(のち本門宗)の結成に参加、興門八本山より輪番制で就任する同宗の管長には、第4代として日布、第15代として日応などが着任した。以上の経緯は、当時の憲法による門下統一の指針により致し方なくされた処置であった。しかし、大石寺との本末関係にある寺院には他山の影響はなく、日興以来の血脈に随い、大石寺法主を信奉し、法改正に伴い日蓮正宗総本山として念願の独立を果たした。戦後は上述の下条妙蓮寺をはじめ、讃岐本門寺、日向定善寺などが本山として法累寺院とともに帰一している。
所在地は静岡県富士宮市上条2057番(北緯35度16分41.98秒 東経138度35分19.99秒)。墓苑の一部は同市北山に属する。 駐車場、売店を除く境内地は墓苑を含めて南北約1550m、東西約1150mで約70ヘクタールに及ぶ。明治の作家・大町桂月は、「大石寺を見ずして寺を語ることなかれ」と評している。
日蓮正宗では、大石寺に参詣することを「登山」という。1950年代初期に、創価学会の第二代会長・戸田城聖によって、創価学会員の大石寺への月例登山会が実施されるようになった。その後、法華講(古くからの信徒組織)でも、法華講連合会の発足後は、法華講員の月例登山会などを行なうようになったが、それ以降、1991年に日蓮正宗宗門が創価学会に破門を通告するまでの間は、学会員の登山者数の方が、法華講員の登山者数よりも圧倒的に多かった。現在(学会員が日蓮正宗の信徒資格を喪失した1997年以降)は、大石寺に登山・参詣できるのは、法華講員のみに限られる。日蓮正宗の信徒でない一般の人は、境内の散策・見学は自由であるが、教義と防犯上の理由のため、奉安堂内部に立ち入ることは出来ないものの、その他の堂宇は外部からの見学は自由になっている。また、石之坊には午前9時から午後5時まで法要が行われている時以外は自由に入ることが出来る。ただし、日蓮正宗信徒以外の一般の人が(信徒以外の者は立ち入りを許可されていない奉安堂以外の)諸堂宇内部に立ち入ることが出来るのは、原則として、法要をはじめとする諸儀式・諸行事などが行なわれていない時に限られている。また、信徒でも本山到着時に内拝券の交付を受けていない場合は奉安堂内部への立入りはできない。さらにいえば、毎年4月6日・7日は霊宝虫払い、11月20日・21日は宗祖御大会という2大法要が奉修されるため、あらかじめ許可を得た信徒以外は参詣できない。