あいらぶ富士宮

若獅子神社

使用写真は平成30年4月8日に管理人撮影

若獅子神社

サイトより引用

所在地 : 静岡県富士宮市上井出2317の1

神社の由来

若獅子神社は、先の大東亜戦争において若獅子の名のもとに勇戦奮闘悠久の大義に殉じた陸軍少年戦車兵の教官・生徒六百有余の御霊を御祭神として永久祭祀の途を拓くため昭和59年10月神社を創建しました。
今、英霊は、この地に還り守護神として我が国の平和と弥栄を希い、氏子崇敬者の平和と繁栄をひたすらお守りしておられます。特に御祭神は、交通安全・学業成就・産業新興の神様として特別の御神徳をそなえておられます。

神社の起源

昭和40年12月、学校跡のこの地に戦没同窓生の慰霊・顕彰のため、若獅子の塔を建立したのを起源とし、以来毎年慰霊祭を執り行い、英霊の奉慰・奉顕に務め、建塔20年を期に富士山本宮浅間大社・靖国神社の御教導により、永久平和への祈りをこめ神社造営を発起顕彰会々員729名の奉賛によって若獅子神社が創建されました。

神社の称号

若き情熱に燃え、純真一途に国難に赴き、勇猛果敢な活躍を遂げた少年戦車兵の愛称であった「若獅子」を神社の称号といたしました。

帰還戦車

かつての大戦において陸戦の華、少年戦車兵とともに活躍した機甲部隊の主力に九七式中戦車(チハ車)がありました。
この戦車は、もっとも熾烈をきわめた玉砕の島サイパンにて四十余命の少年戦車兵とともに、勇戦奮闘、祖国の礎となり、戦後30年土中深く無縁をかこっていましたが、このたび一有志の悲願がかない、この母なる地に還り、安置したのであります。
無数の弾痕は戦争の激しさを訴え、満身の赤錆は、戦いの空しさを語り、平和の尊さを教えています。
ここに若獅子の御霊とともに永く平和の道標として顕彰されんことを希うものであります。
昭和50年(1975) 10月吉日 (参考 一有志:下田四郎氏)
この戦車は戦車第九連隊所属で、同時期に帰還したもう一両は現在、靖国神社:遊就館に修復・整備・塗装され展示されています。

戦車学校の絵葉書

絵葉書は市川 博康さん提供

マップ

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